広島の某、川の流れる傍らにあるお店で、
ランチを食べていました。
この日の体調のせいかもですが、
前菜だけで3種類・・
お腹いっぱいになってしまいました。
私は普段、仕事の昼休みなどは、
プチサイズのパン2~3種類にコーヒー、
などという食生活(?)をしているので、
その時と比べると、
前菜3種類にパン・・で、
いつものお昼、一食分に相当するのです。
いつも、わびしいお昼を過ごしているんだな、と、
思ったりしますが、
そんな自分が、こんな豪華ランチをしている場合か、
という思いも、湧いたりします。
日本は、昔、食べ物があんまりありませんでしたよね。
世界では、いまも、食べ物がない地域があります。
日本でも、いまも、食べれない人はいるでしょう。
日本だって、世界だって、自分だって、
いつ、食べ物が食べれなくなるか、わかりません。
いろいろ考えると、哀しくなってきたりします。
でも、食べたくても、1ミリも食べれなくなるその時 迄、
あの時もっとありがたく食べておけば・・と思う瞬間 迄、
真摯に目の前にある豪華な食べ物と、
向き合っていよう・・と、思います。
けど、そうやって感謝して納得してみても、
食べ物が食べれない人やことの存在を認識すると、
申し訳ない気持ちになる、気持ちは、
切り離すことができません。
今日はしかし、ふと、こんなことを思い出しました。
日本の、先の大戦・・
太平洋戦争のことですが、
その時に、亡くなった人が、
昭和のある年代に、
転生した人が多いのだそうです。
・・・
私も聞いた話なので、すみません、
質問もツッコミも、
ここではしないでください^^;
で、実は、私も、
その年代に、引っかかるのです。
が、まったく、
身に覚えがございません。
自分は違うんじゃないか、と、思うくらい、
心当たりがございません。
なのですが、
同級生のお友だちに、
戦争の惨禍が、話に聞くだけの昔話とは思えなくて、
自分が体験したかの様に、
怖かったり、涙が止まらなかったりするのだ、
という人が、
ひとりだけ、いました。
感受性がかなり強いのだな、と、思いました。
私は、広島県の、公立学校で育った人間なので、
戦争教育は受けてきた方だと思います。
それこそトラウマになる位、見聞きもしてきました。
他県では戦争について、そんなに授業しない、
広島と○○(他県の地名)ぐらい・・
と、大人になって知った時に、
なんだか悔しい気持ちになった位、
戦争の話は身近でした。
が、それでも、
自分に起きたことの様には、思えないのです。
その後、先出の同級生ですが、
いまは嫁いで、広島県外に住んでいるのですが、
いまの居住地で、戦争の話がふっと出て、
「自分は戦争で死んだんじゃないかと思うくらい、
戦争の話が怖くてたまらない」
と、おっしゃる、
同世代のママ友さんに出会ったそうです。
広島県内でも、そんな人に会ったことはないのに、
初めて、同じことを思っている人に出会った・・!
という様なことを、思われたそうです。
この、私たちの生まれた年代が、
先の大戦で亡くなった人の、
生まれ変わりが多い・・
という説の、
真偽のほどはわかりません、が、
食べ物がここ近年でいちばん、
食べれなかった時代に、死んだ人たちが、
いま、この時代に転生して、
たくさん、美味しいものを食べれてるなら、
それが本当なら、いいのになぁ・・
と、思いました、
という、
今回のお話です。
戦争で亡くなった方が、
生まれ変わるなら、
いちばん望むのは、
次は戦争がない時代なんじゃないか? と、
おっしゃる方(ここにいらしたら)、
ごもっともです。
が、
日本がこのまま、順調に平和でいけば、
私たちの世代が、徴兵されることはなさそうです。
兵士としては高齢になっちゃうんですよね。
ヤッター、俺らの時代、戦争に行かないで済んだ~的な。
まぁ、日本本土を爆撃されたりすれば、
結局、また戦死かよっ!ということにはなりますが。
(私は戦争で死んだ人は戦死だと思っています)
その時迄、美味しいものを食べましょう。
というか、美味しくものを食べましょう。
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