☆の話005 霊は零である(知らんけど)


 お盆でしたね。


 戦後70年目の夏ということで、

 いつもの夏(お盆)と、

 雰囲気が違っていた気がします。


 何と言いますか、じわじわしない・・

 (え?)


 私のこれ迄の人生の体験上、

 日本人は、


 家の宗教はあるけれど、

 神様仏様は、いる様ないない様な・・


 霊感は過半数以上がないと言い、

 霊というのは、いる様ないない様な・・


 ・・というかんじの人が、

 ふわーっと多い気がするのですが、


 でも、お盆はきっちりしますよね。(笑)


 霊なんかいない!

 死んだら無!!

 と、

 おっしゃる方も、

 自分の親族の墓はあるだろうし、

 おそらく、お盆となれば、

 墓参り位はなさるのでしょう。


 いないと思っている、

 いるのかいないのかわからないと思っているのに、

 お盆とかお墓参りとか、

 ヘンですよね。


 鬼の棒金棒を取ってぺちゃんこにしたいワケではなく、

 (上げ足を取る・・みたいな例えをしたいワケです)  

 

 不思議と、お盆、

 きっちりやるよね、みたいな。(笑)


 勿論、真摯にやってらっしゃる方もたくさんいて、

 そういう方は、

 そんなことない!と、思いながら、

 読まれていたと思われますが、

 大丈夫です、

 ちゃんと存じておりますので。

 

 でも、

 先祖を大事にする・お墓参りをきっちりしている

 = (イコール)

 社会的成功

 とは、

 関係がある様で、あんまりない様な気がします。


 よく、社会的成功者は、

 先祖供養半端ない、と、聞きますが、

 先祖供養半端なくて社会的成功者の知人が、

 私の知る範囲に、あんまりいないので・・

 (勿論、いるんでしょうけど)


 で、もって、

 成績良くて、周りから好かれる優等生の友だち、は、

 お盆に、ディズニーランドに行くことはあっても、

 お墓参りなんかすることはなさそうでした。


 家に仏壇もないので、

 神棚との違いもよくわかってないかんじ。


 ああいう人は、

 お墓参りなんかしなくても、

 守ってくれる高級なご先祖がいるんだろうなぁ、と、

 いまになってみれば、思います。


 それか、神様とか特に意識したことはなくても、

 守られているということは、

 それだけ、その人本人の格が高いか。

 (優等生&裕福に生まれ育っているのだから、

  そういうことなんでしょうけど^^)


 話を、このお盆でいちばん、

 興味深かったことで、まとめます。


 私の知人(男性)に、

 物事を俯瞰(ふかん)で見ている人がいるのですが、

 たとえば、占いなんか、絶対信じないタイプ。


 お盆に対して、

 「しょうがないなぁ。行事のひとつだし」

 みたいな言動だったので、

 やっぱりなぁ、と、思い、

 「死んだら「無」だと、思ってますか?」

 と、

 たずねてみたところ、

 「死んでるのに、無も何もない、じゃないですか。

   だって、死んでるんですから!」

 とのお返事。


 つまり、死んだ人間が、

 何か考えたり、

 何処かへ動いたりできるんですか、

 死んでるのに!!

 という、考え。


 面白いなぁー・・と、思いました。


 死んだらそこでストップなんですね。

 だって、死んでいるんだから。

 (笑)


 これ位、潔かったら、

 何か、真摯に生きられそうですね。


 その知人、

 生きている人間は大事になさっている様だし、

 お墓もお盆も、

 そうは言っても、ちゃんとやるんだろうなぁ、

 という気はします。


 死んだ人間がそれを望んでいるから、ではなく、

 生きている時にそれを望んでいた、

 その人の為に・・


 霊とか信じてないけど、

 お盆をやるのは、

 そういったことでもあるのかな?

ナユミマもの語り^^

ナユミマカハラです!  「不思議に思ったこと」等、 語ります^^

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