タイトルが妙なかんじですが・・
今回は、私の、
祖母と、曾祖母のお話です。
祖母は2年前に他界しましたが、
曾祖母は先週、亡くなりました。
冒頭の花は、お葬式で余った花のおすそ分けです^^
祖母と曾祖母は、しばらくふたりで暮らしていたのですが、
典型的な老老介護ですので、
曾祖母が99歳の時に、施設に入ることになりました。
私はその時から、曾祖母には会っていません。
施設に面会に行ってはいけない、という話だったからです。
後で、その話は解除されたそうなのですが、
私たちはそのことを聞いてなかったので、
結局、生きているうちに、会いに行くことはできませんでした。
まぁ、それはもう、いいんですけどね。
そんなワケなので、通夜葬式に行ってもいいのだろうか・・
と、おうかがいを立てたのですが、
全然、行ってもよかったみたいです。
私は丁度、まとまった休みを頂いていたので、
通夜葬式とも、行くことができました。
これが勤務がある時でしたら、
祖母なら、まぁ、まだしも、
曾祖母では、勤務変更とかききませんでしたからね。
(親等が遠過ぎて)
なんかまぁ、丁度よかったなぁ、と、
思いましたですことよ。(何語風?)
10年以上ぶりに見る、曾祖母の顔は・・
蝋人形の様でした。
こんなの、曾祖母じゃないやい。(と、最初は思った)
遺影の方が、はるかに実物に近かったです。
亡くなってすぐに駆けつけていないので、
死後のガチの死に顔は見ておりません、で、
加工されてきれいになった顔の方を、
死に顔として見ることになるので、
まぁ、良し悪しなのだと思います。
加工前の死に顔を見ていた母いわく、
「あぁ、きれいになってる」
とのことでした。
きれいにはなっているのだろうけど、
こんな作りものみたいな顔じゃないよなぁ・・と、
通夜~葬式の朝迄は、思っておりました。
お葬式が始まり、こういう時、故人は、
何処にいるのだろうなぁ、と、思いました。
これは、2年前の祖母の葬式の時も、
考えていました。
果たして、律儀にお棺の中に入っているのか、
お坊さんの隣あたりにいるのか、
向こう側からこちらを見ているのか、
こちら側から棺の方を見ているのか・・
祖母の時、結局、祖母の存在を、
見えたり、感じることは、できませんでした。
祖母の方が、自分に近い親戚なので、
その時に感じることができなかったものを、
曾祖母の時に感じる・・というのも無理っぽくて、
結局、このたびもわからずじまい・・
が、
ただ、
棺の蓋を開けて、皆でお花を入れている、
最後の別れのその時だけは、
安心してください、入ってますよ・・・
・・
じゃないけど、
入ってる・・!
と、思いました。
ここから先は、
人間は死んだら魂になる(がある)と、思っている、
私は、こうだ、と、思ったことの話です。
お葬式の際、「最後の別れ」と言って、
棺に花を入れていきます。
火葬場迄行くのであれば、
また最後に棺の窓を開けるので、
厳密には、ここが最後ではないのですけどね。
(宗派や地方によって違ってるかもですが)
お花を入れる時を、
仮に、①最後 と、します。
①最後ですが、この時、
本人は、亡骸に入っている気がしました。
祖母の時も、曾祖母の時も同じです。
何故なら、顔が違ったからです。
通夜にきていれば通夜の時に、
葬式の朝にでも立ち寄っていればその時に、
故人の顔は見ているので・・
少なくとも、この時の私は、
何度か見ている状況でしたので、
その時とは顔が違って見えました。
曾祖母の顔が、蝋人形じゃなくなっている・・!
面白かったのは、(いいのか、面白くて?)
祖母の時は、
皆に泣きながら花を入れられて、
祖母も別れが哀しくて泣いている様に見えた・・
のですが、
曾祖母は、
「こんなにきれいにしてくれて、ありがとね~」
というかんじに見えました。
すごい、ピカピカの余裕でした。
さすが、祖母より20年近く長生きしている(た)だけある・・
更に、
火葬場に着いて、炉に入れる前、
本当の最後に顔を見る時を、
②最後 と、します。
②最後 祖母の時、
最後だから触ってもいい、と、
言われました。
いま迄、故人に触れるのはためらわれたのですが、
この肉体を見れたり、触(さわ)れるのは、
これで最後なので、触りました。
「おばあちゃん、ありがとう」
と、
声をかけて、触りましたが、
祖母の顔は、お花を入れた時と変わっていました。
さっきの時は、哀しそうな顔をしていたのに、
いまは、あの世にいく覚悟をした顔になり、
この世の私たちの方を見ているかんじは、
ありませんでした。
因みに、のちに親戚のおば様も、同じことを言っていたそうです。
この体験があったので、
②最後 の段階では、
故人の反応はない、と、
私は無意識に思っておりました。
②最後 曾祖母の時、
触ってもいいという話にならなかったので、
私は、
「ひいおばあちゃん、ありがとう」
と、声だけを、かけたのですが・・
ニコッ
蝋人形の様に、加工された唇が、
もともと笑っている様に加工されているけども、
ニコッ、と、
確かに笑った様に見えたのです。
まさか、この時に、
反応があるとは思わなかったので・・
私の方がびっくりしました。
そして、
「余裕がある・・ さすが・・」
と、思いました。(厳密には「うなり」ました)
祖母に比べて、曾祖母が・・とか、
そういうことではありません。
母娘で、こうも違うんだなぁ・・と、思いました。
私にとっては、
どちらも「おばあちゃん」なので、
こんな風に違いが出るとは、
思ってなかったんですよ。
曾祖母とは、
10年以上会えなかったし、
いちばん最後に会ったのがどの時だったかも思い出せないのですが、
この、ニコッ、が、あったので、
お葬式に立ち合えてよかったと思います。
こんな風に思える様に、
死に顔の加工という技術があるんですよね。
ありがとうございます。
最初、蝋人形みたいと思って、すみませんでした。
けれども、一週間前のいま頃は、
まだ、生きてたんだなぁ・・と、
思いつつ、
今日、こうして書かせて頂きました。
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